自虐が美徳とされるワケ

自虐が上手いと得をする世の中

 「自虐」って、なんなんだろう。

 自分がそういう年齢になったからなのか、それとも時代の変化なのか分からないけど、世の中って、こんなに多くの人が自虐を口にしていたっけ?と最近思うのです。

 もともとは、自分の身に起きた不幸をネタにして、笑ってやろうって、そういうものだったと思うんですが、不必要に自虐をしたがる人も沢山出てきたなーっていう印象があります。
 例えば良いマンションに引っ越した人が、羨ましがる友人に「いやいや、分不相応な家買っちゃって、家賃でこれから首が回らなくなりそうだよ」って言ったみたり。仕事で出世した人が「役職が付いたってだけでお給料大して変わんないし、仕事増えただけだよー」とか言ってみたり。そういうセリフ、なぜだかよく聞く。客観的に見ればとても良いものごとでさえ、自分ごととなると途端に「ろくなもんじゃありませんよ」という態度になる人々。なんだかとても窮屈そうに見える時がある。まるで自分の幸せを真正面から喜んじゃいけないとでも思ってるみたい。

 自虐ネタを良しとする風潮は、間違いなくあるように思います。たぶん、嫉妬を買ったり、嫌われないためのテクニックとして、浸透してきたんじゃないかなー。私は、たまにそれを言わなきゃいけない圧力みたいなのを感じて、面倒くさい時もあるんですが。ほら、謙遜することが我々ジャパニーズの美徳とされてきたじゃないですか。だから、一種の謙遜として自虐ネタを取り入れた方が良い気がしてしまう。それで相手が笑ってくれたら万々歳、やっぱりこれが正解だったか、みたいな。そういうことは実際何度か経験しました。

 芸能人も、自虐ネタいっぱい持ってますよね。で、そういうことをテレビの前で自然と言える人ほど、好感度が高い。親近感ってやつが湧くからかしらでしょうか?たぶん、もともとは芸人さんが持ち込んだものだと思うんです、自虐ネタ。それを今や、綺麗な女優さんとか、俳優さん、アイドルまで使いこなしてるなーって。プライドが高いことが悪いことみたいにされてるからかな。テレビの向こうから「お高く止まってんじゃねーよ」って野次が飛んでくるから?

 もちろん私も、他人の自虐ネタで笑っちゃう時あるし、その瞬間ふと「なんだこの人も上手くいってないんだー」っていう共感や安心感が生まれるのは、すごく分かります。でも、そういう自虐を一切やらずに「俺の人生は最高だよ!」「今絶好調だよ!」って強気で言える人がもっと増えても良いんじゃないかなーとも思ったり。なんだか私は、たまに大勢の前で、臆面もなく自信満々にそう言ってやりたくなる時があります(笑)でも、言ったら誰かしらの反感買う気がしちゃって、なかなかできない。それも本当はただの思い込みかもしれないんだけれど、そう思うってことは、自信に満ちた幸せそうな人を陰で悪く言う人を、少なからずどこかで見たことがあるからなんですよね。

 

自虐の陰にSNSあり?

 「他人の不幸は蜜の味」なんて言葉があるくらいですから、実際そういうのが大好物って人も多いんじゃないでしょうか。芸能人が不倫したり、成功者みたいに振る舞ってた人が失敗して手痛い目に遭ってるのを見つけると、一斉に袋叩きが始まる。きっとネットがない頃から、井戸端会議みたいにあちこちで噂されて、あることないこと言われることはあったんだろうけれど、ネットの書き込みやSNSが一般的になってからは、それを匿名で、しかも不特定多数に向けてできてしまうからっていうんで、より一層心無い言葉を公然と発信する人が目立つようになりました。あえて「目立つようになった」と言ったのは、一人の人が複数のアカウントで大量に書くこともできるから、あくまで正式な人数は誰も把握してないからです。沢山酷いことが書かれていても、本当にマジョリティが怒って責め立ててるとは限らないわけで。ただ、誰かを責めるような言葉を目にする機会は増えちゃったんじゃないかな。

 特にSNSは、どこぞの知らない誰かに起きた炎上であっても、話題になることで、その袋叩きの現場を、関係ない多くの人まで目にしてしまうことがありますね。そういうのって実は刷り込まれてるんじゃないかなって、思う。「あー、成功してるヤツは、失敗するとこんな風に思われるのか」「金持ちってことをアピールすると、敵が増えるんだな」「人気者が異性と遊んでると、陰でこういう言われ方をするんだな」って。だから、相手の期待値はなるべく下げておこう。褒められても「俺なんて全然」「私なんてまだまだ」そう言っておいた方が得策だ、そう思う人が出てきてもおかしくない。

 SNSは、共感を集める場所として利用されることがほとんど。だから多くの人に共感される自分を演出する術を、そこから学ぶのかもしれません。

 

イギリス人も、自虐好き?

 自虐って日本人のお家芸なのかなって、長らく思っていた私。ところが、YouTubeでたまたま見かけたイギリスのコメディアンの動画を見て、イギリス人もなかなかに自虐体質だということを知りました。気取った英国紳士しかいないイメージだったんですが、どうも彼らも豊富な自虐ネタを持っているようです。

 例えば、"How are you?"という挨拶がわりの質問一つとっても、イギリス人は他の英語圏の人たちに比べて、根暗なお返事をしてくれるそうで。
アメリカ人やオーストラリア人が"Awsome!(最高だよ!)"とか"Great!(調子いいよ!)"とか、元気いっぱいに応えてくれるのに対し、イギリス人は"Not too bad(悪くはないね)"が一般的。なんでも、そのコメディアンいわく、イギリス人は思慮深く、常に最悪の事態を考えているからそうなんだとか(笑)期待値を下げておけば、傷つかないで済むし、きっとどんなことになっても最悪よりはマシだと思えるはずだ。そういうネガティブなようで、ある意味ポジティブ?な感覚を持っているみたいですね。

 彼らはどうしても皮肉を言いたくなるようで、アメリカ人のように単純に「すごいね!」とか「いいじゃない!」ってことを、なかなか言えない人も多いらしい。日本人とはまた違った意味で自虐が染み付いてるのかも。

 確かに、アメリカ人と話してると、こっちまで引っ張られるくらいの発言のポジティブさに驚かされることがよくあります。留学したり、観光をしていた時、会話の中に「いいね!」とか「すごい!」という肯定の言葉が散りばめられていて、言われる方も誰一人、それをいちいち否定したりしていませんでした。それに、向こうで英語を話す時は、私もものすごくポジティブな思考回路になっていた気がします。まあ実際、向こうには謙遜から入るっていう選択肢がないから。「お恥ずかしいです」とか「いえいえそんな」っていうフレーズが、英会話のレパートリーにそもそも入ってない。「ありがとう!最高の気分だ!」って言えばOKなんです(笑)

 

自虐はテクニックか、悲しい性か

 私たちが世の中で上手く生きていくために自虐を身につけたんだとして、それが染み付いてしまったことで、ネガティブ思考に囚われがちになっている人もよく見かけます。

 言霊じゃないけど、誰にも彼にも「いやいや」「そんなそんな」って言いすぎて、実際自分自身もそう思い込んじゃうという現象も起きているんです。つまり、良いことが起きたはずなのに、それを自分が受け入れられずに、大して良くないことみたいに扱ってしまうせいで、本当にそう思えてきてしまうという。

 うーん、自虐は悪いことじゃないし、自分の不幸をクスッと笑って水に流してやるくらいのものだったらとても素敵なことですが、行き過ぎるとなんだか窮屈に感じます。良かったことは素直に人前で喜んで良いじゃないかと思うんです。自虐なんて全くナシで、自信満々に振る舞うことも愛される世の中になったらいいな。