思ってたのと違うなあ

「思ってたのと違うなあ」

と思う瞬間は多々ある。実は、世の中のほとんどのことが、自分が勝手に持っていたイメージや想像と、実際に体験してみた感想に乖離があるものな気がする。そして、この「思ってたのと違う」と感じた回数が、自分の思い込みや固定観念をリアルな体験によって覆した回数なのだと思うと、なんだかこれは、多いほうが良いような気がする。しかし私はどうも最近、「思ってたのと違うなあ」を忘れてしまっていたようで、この前、久しぶりにこの感覚を思い出すことがあって、嬉しくなったので記録しておくことにする。

 

 皆さんは、“日本舞踊”をご存知だろうか。私はこれをついこの間、生まれてはじめて体験してきた。お教室に着いてまず案内されたのは更衣室。浴衣を着るのは実に高校生ぶりだった。帯の締め方をすっかり忘れてしまっていたが、便利な時代でYouTubeにそんな私に優しく着付けを教えてくれるお姉さんの動画があった。ギュギュっと帯を締めまして、ふう、、お腹が苦しいでげす。しかしなにはともあれ、ついに日本舞踊のお稽古体験が始まる!どきんこどきんこ!

  先生と諸先輩方にご挨拶を済ませ、正座待機。まもなく定刻となり先生が話し始めた。

 

先生「皆さん、今日は体験の方がいらっしゃいます。ともえさんは、日本舞踊のお稽古はおありなのかしら?」

私「あ、ないです」

先生「どんなイメージを持ってらっしゃる?」

私「えーと、は、はんなり?たおやめぶり?なんか女性らしい美しいイメージです!」

 

 我ながら偏差値の低そうな回答をしてしまったが、先生は優しい笑みを浮かべて「今日は体験だから、見様見真似で実際に体を動かしてみてね」と言った。そして大きな声で「皆さん、よろしくお願いいたします!」と言うと直後に生徒たちが声を揃えて「よろしくお願いいたします!」と返し、見事に綺麗なお辞儀をした。お辞儀のラインはもちろん、顔を上げるタイミングまで揃っていて、美しい。

 正直、そこまではイメージ通りだった。みんな綺麗にお着物を着て、動作がゆったりとしていて一挙手一投足が丁寧に柔らかい曲線を描く。が、最初の衝撃は準備運動が始まったときになんの前触れもなく訪れる。

「はい、四股踏んでー」

しこ、、、?SHI☆KO??まさかあの四股?四股といえば相撲ではなかろうか。お着物を着たままあんなに大股開きするわけないよね?まさかまさか、、、アハハ

 しかし、その四股で間違いなかった。みんなが一斉に足を開いて腰を落とし、そのまま片足に重心を乗せて、もう片方の足を高く上げたからだ。次の瞬間、ドスン!という音が響き渡る。ちなみに、着物の下にはステテコを履いているので、いやーん生足丸見え!みたいなことにはならないのだけれど、でもなんか、初めて目にする人はびっくりする光景だと思う。あんまり着物の下の肌着って見えちゃうことないし、見せたらまずいものなんじゃないかと思って生きてきたからね。

 しかしながら、恥ずかしがって戸惑っている人間はその空間には私一人きりなわけで。みんなは涼しい顔で当たり前のように四股を踏んでいる。

「そっかあ。日本舞踊って四股、踏むんやなあ」

 と心の声でつぶやいて、私も足を上げてズドン!と四股を踏んでみた。浴衣がはだけるのとか、可愛い浴衣の裾からヨレヨレのステテコが丸見えになるのとか気にせず、ズドン、ズドン!とやりましたよ。ちなみに四股のあとはスクワットもしましたとさ。

 

 ずいぶんと激しめの準備運動を終えた私。日本舞踊には使わない動きだろうになんでこんなことするのやら〜と不思議に思っていた。ところが、その日にお稽古した「松」と呼ばれる練習曲がさらに私の度肝を抜くことになるのです。

 テンポが曲の途中で変わる。それも劇的に。BPM60くらいから一気に130くらいに跳ね上がるのだ。たぶんこれはいわゆる西洋から来ている音楽では例を見ないことだが、どうやら日本舞踊で使われる雅楽ではよくあることなのだそう。ゆったりすり足で移動して、お扇子片手にはんなりポーズをとっていたと思ったら、急に曲調が変わって動きも激しくなる。クルッと回ってお扇子を掲げて、足をシュパシュパ前に後ろに右に左に!ってダンスじゃん!!このスピードで振り覚えるのとか無理ぃー!キィィィィ!

「思ってたのとちげえ!!!!」

 私は胸の内で悲鳴を上げていた。その時初めて「日本舞踊て遅いし動きも少なそうだし、すぐできるようになりそ〜♪」とか舐めていた自分が心のどこかにいたことを自覚し、そいつをぶん殴りたくなった。日本舞踊は速いし、動きも多かった。ちゃんとダンスだった。舞って踊って、動き回っていた。あと中腰の姿勢多いからからスクワットもやっとかな!

 

 気づけば1時間半ほどのお稽古が終わっていた。目が回ってクラクラした。日本舞踊は、思ってたのと違った。思ってたより激しかった。難しかった。それを綺麗に踊れる先生や先輩たちは、すっごいかっこよかった。そんで翌日、私は全身筋肉痛だった。

 

不思議な少年と悲劇のヒロイン(私)

マークトウェインの『不思議な少年

 最近、とある人が「これ面白いよ」と言って、マークトウェインの『不思議な少年』を貸してくれた。マークトウェインといえば、日本でアニメ化もされた『トムソーヤーの冒険』や続編『ハックルベリー・フィンの冒険』などで有名なアメリカの小説家である。社会問題に対する著者の深い洞察が垣間見えるが、これまで私は、彼の作品はあくまで健全な児童文学という認識でいた。

 しかし、児童文学を読むような軽い気持ちで、この『不思議な少年』を読み始めてしまったことを、私は後悔することになる。はっきり申し上げれば、私は不意打ちを食らい、深淵の中に閉じ込められるような鬱に陥った。そして読み終わった後で、私はこれを“呪いの本”だと断定することになる。

 

どうして呪いの本なのか

 まずタイトルにある不思議な少年というのは、物語に登場するサタンという名の天使のこと。「え、天使がサタン?」と疑問に思うのはごもっとも。サタンとは、あの有名な悪魔と同じ名ではないか。しかし、我々の知るそのサタンは堕天使であり、悪魔になる前の彼は、もともと天使だったのだという。そして物語に出てくる少年は、その悪魔になってしまった堕天使サタンの甥っ子なのである。「悪魔は僕の伯父さんだよ」と何食わぬ顔で言ってのける天使サタンは、年端もいかない主人公・テオドールたちと変わらない見た目をしているが、実は天使の中では若いというだけで、すでに二千歳を超えている。二千年もの長きに渡り世界を見てきたのだ。

 物語の舞台は、魔女裁判が平然と行われていた中世ヨーロッパのとある村。キリスト教徒の異教徒に対する処刑方法は残酷で容赦無く、魔女だと疑われればやがては問答無用で火炙りにされてしまう。テオドールのよく知るピーター神父でさえ、疑いようのない“善人”であるはずなのに、謂れなき噂話が原因で職を失い、路頭に迷っていた。村人は誰しも疑心暗鬼になり、いつもどこか怯えていた。そんな時代の話。

 サタンが人間界でテオドールと出会い、仲良くなることから物話は始まる。目の前で数々の魔法を披露したり、予言をしてみせるサタンに、純粋な子供たちはすぐに夢中になる。しかし彼は時折、ひどく冷酷な物言いで、人間を虫ケラ同然に扱うことがあった。それを見る度に、テオドールたちは不安になるのだが、サタンは言う。「人間と僕たちじゃ、程度が全くちがうのだから当然だ」と。

 サタンとテオドールの会話を中心に、語は進んでいく。私にとって最も印象的なセリフは、サタンの「人間には頭がついていない」というものだった。どういう意味か。サタンからすると、我々人間にはそもそも、物事を考えられるだけの頭など備わっていないのだという。文字通り、“脳なし”だ。それが一生懸命にいろんなことを考えようとし、あまつさえ自分で善悪を判断できると過信しているのだから笑ってしまう、と彼は言う。なんとも傍若無人だが、しかし彼の言葉は私の心に刺さって痛い。サタンいわく、人間は善悪を判断するだけでは飽き足らず、“良心”というものまで作り出してしまった。そしてその“良心”こそが全ての不幸の始まりなのだという。「良心を持たない動物は、人間のように愚かで残酷な仕打ちをすることはない」と彼は続ける。人間の残酷さは、全て良心に起因して生み出されているのだ、と。

 思い当たることなら、いくらでもある。善意があるから悪意がある。それは、光がなければ影がないのと同じこと。人間の善意は“期待”になりやすい。人は相手を鏡に見立て、自分がされたら嬉しいことをし、その施しは“いいこと”だと思ってやまない。でもその期待が裏切られることなど、いくらでもある。そしてか弱い人間は、簡単に悪意の方に感染してしまう。悪意を断ち切るために、悪意を持って他人に挑んでいく。そうなったら後は想像に容易い。恐怖に支配された人間は、あっという間に善意なんて忘れてしまうだろう。

 物語の中盤、サタンを恐れながらも、その力に魅せられてしまうテオドールは、罪がないのに罰せられようとしているピーター神父を助けたいと、サタンにお願いする。そして彼の罪を断罪する裁判が行われるその日、テオドールの前に現れたサタンは弁護士に乗り移り、見事ピーター神父を裁判に勝たせるのだ。テオドールたちが喜んだのも束の間、サタンはピーター神父から正気を奪い、狂人に変えてしまう。優しかったピーター神父は、自分を皇帝だと思い込み、傲然に振る舞う爺さんに成り果て、その姿にみんなは涙する。「どうしてこんな酷いことを」と嘆くテオドールに、サタンはこう言った。

 

「正気でいるのが、彼にとって一番の不幸であることが、どうして分からないのか」

 

人間に、考えるに足る頭はあるのか

 考えれば考えるほど、頭の中が悲劇的になるという経験がないだろうか。ネガティブ思考といえばそれまでだが、要は人間が自分の頭で突き詰めて考えすぎると、自分の力で解決できないと分かってドン詰まる。何を隠そう、私はそんな悲劇思考の常習犯だ。

 古くからの友人からの連絡が途絶えれば、その理由を端から端まで憶測する。「事故に遭った?病気とか?」「いや、私が何か気に触ることしたのかも」「あのときのあの言い方がまずかった?」「それとも他に何か嫌なことが起きて、心を閉ざしてしまったのかも」「でもこっちから立て続けに連絡するのもな」「気持ち悪がられたら嫌だし」

 憶測は、気付けば被害妄想に変わっている。そんなことはいくらでもある。仕事でも、友達のことでも、家族のことでも、恋人のことでも。あてもなく考え続けたところで、誰も答えを知らない。当然、真実は見えてこない。他人が怖くなって、自分を嫌いになるだけだ。なんて虚しい時間だろう。返してほしい。

 なんでも不思議な少年によると、人間は不幸になる機械と幸せになる機械を組み合わせてできているらしい。しかし一度そのバランスを崩せば、幸せの機械は止まり、空回るのは不幸の機械の方。くるくる、くるくる、回転する数だけ、人は不幸になっていく。

 

呪いの本は、救いの本でもある

 私にこの本を貸してくれた人は、読み終わった私にあっけらかんと「この本救われるよね」と言い放った。なんでも、人間こんなもんなんだと思えば、色々なことに諦めがつくのだという。

 そうか、私を苦しませているのは執着か。俄に見えてきた、私の首を絞めているものの正体。それは、考え尽くしたら答えを出せるかもしれないという自分自身への期待や、私が正しいと思うことが本当に正しかったらという念願。そして何より、他人と分かり合うことへの渇望だ。ああ、それを捨てられたらどんなに楽だろう。

 人間には頭がない。ないものに頼ろうとしても無駄である。それは絶望を突きつけるようでいて、希望を与えてくれる言葉なのかもしれない。諦めの中から生まれてくるのが、それでも生きていることは愛しいと思えるような慈しみだったら、きっと誰の心にも平穏が訪れるだろう。

 

 

 

言葉よ、少しは遠慮してくれ

言葉にできないこと

 国立新美術館で、李禹煥の企画展を見てきた。彼は「もの派」を代表する現代の美術家である。「もの派」というのは、自然や人工素材を組み合わせ、すべては相互関係のもとにあるということを訴えるような視覚芸術だ。それは見る者に、ものとものとの関係、ものと人との関係を問いかける。李禹煥の作品には、あらゆる人とものが、相互に作用しあって共存していることを証明するような作品が多く見られる。

 そもそも「もの派」というのは、土、石、水、紙といった素材そのものにほとんど手を加えないインスタレーション制作を中心に展開されてきた。芸術の再創造を目指し、ものへの還元に至ったのは、多摩美系と李を中心とするアーティスト達であった。

 私はこれまで、「もの派」に対し、華美で冗長な描写を嫌うミニマリストという印象を持っていた。それに彼らの作品は、言葉にしにくい、つまり理論立てて大衆にその意味するところを説明しにくいアートだと感じていた。生で見れば感動するし、紛れもない芸術を目の当たりにしていると感じるのに、それがなぜ良いのか、他の作品と何が違うのか、それを説明しろと言われても、非常に難しい。元来、芸術とはそういうものなのかもしれないが。

 実際、このあいだ李の展示に足を運んだときも、彼の作品を見つめる私の脳内には、言葉なんて一つも浮かんでこなかった。白い壁に囲まれた空間の中に鎮座し、高い天井から注がれる簡単な照明を浴びる岩や砕けたガラス、容器一杯の水、そのコンポジションを眺めていても、脳内はまっさらな状態で視覚情報を受け取るばかりで、それに対する解釈が一向に生成されない。「なるほどこれはこういうことか」という納得感や、涙するほどの単純な「美しさ」も、私には見えてこないのだ。それでも、シンプルな素材だけで人の手をそれほど加えずに出来上がったであろうそれに、感動している自分はいる。まさにその配置や空間の取り方から、ものとものとの関係、そしてそれを眺める自分との関連を感じていると確かに分かる。

 彼の作品に対し、私は油絵を鑑賞するときのように間近で目を凝らし、その細部を観察してみようとは思ったことがない。ようく近づいて見れば、石の表面のざらつきや凹み、壁に貼られた紙の質感なんかは分かるだろう。しかしそういった部分は瑣末でどうでもいいことのように思われる。そんなことよりも断然、作品と私が存在しているその「空間」を把握していたいのだ。少しだけ近づいたり、後退りしたり、作品と私の間の丁度良い距離感を、足を動かし自分で測りながら、すべての調和が取れる位置を探り当てる。その距離から作品と対峙することで、私はいつまでもそこに立っていられるような心地よさを手に入れることができるのだ。私にとっての「もの派」の芸術とは、そういうものであると言う他に上手い説明が思いつかない。

 さて、多くの芸術作品にはステイトメントというものがある。説明書きだ。作者がその作品を創るに至った背景や、作品が表現しているものの正体を明かすような文章だ。ぱっと見て意味不明で不条理極まりないアートでも、ステイトメントを読んで共感することができれば、自分の中に解釈が与えられ、瞬く間にその異物への共感が生まれるから不思議である。というより、頭でっかちな人間らしいアートだと言えるかもしれない。事実、芸術はアーティストの直感から生まれようとも、やがては理論化されていく。そして解釈は明文化されていくものだ。それはもっともらしい根拠を示し、芸術と社会を結びつける意味を与える。そして巧みな言葉選びで、私たちを納得させてしまうだろう。

 

言葉はときに幻を見せる

 もっともらしく並べ立てられた言葉は真実味を持って、私たちを取り込んでいく。なんだかよく分からない奇怪な塊にも、愛着が湧いてくる。でもそれは本当に作品を理解できたからなのだろうか?ステイトメントに共感しているだけなら、それが貼り付けられている作品が全く別のものだって構わないんじゃないか?

 私は言葉にできない感動を、言葉にしてしまったときの陳腐さをよく知っている。果たして恋人と美術館に行って、何か素晴らしい芸術作品を一緒に眺めている恋人から出てきた言葉にがっかりしなかった人などいるのだろうか。大抵は「すげえ」「なんかいいな」に終始するだろうし、物知り顔で「この作品は日本の工業化を農業との比較からシニカルに云々」などと言われた時には目も当てられない。頼むから黙っていてほしい。大衆に受け入れられるために理論で武装した芸術は、どうしてこんなに哀しいのだろう。私たちは言葉を信じ過ぎている。見たものや聴いたものを頭の中で言葉に変えてしまえば、解釈してしまえば、それを吸収して自分のものにできたとでも思っているみたいだ。

 私はたまに言葉を捨てたくなる。「すごい」とも「感動した」とも言いたくない。「分かった」とも「よく分からない」とも。「好き」とも「嫌い」とも。脳内から言葉をかき消してしまいたい。言葉にするのは、芸術への感動を分かち合うことから最も遠ざかる行為だとさえ思う。ただ黙って空間を共有し、そこに存在している全てを包む空気を、私たち全てを関連付けている「何か」を感じ取ることが、「共感」することなんだろう。

 

感性に言葉はいらない

 私は言葉を扱う仕事をしているし、どちらかといえば言葉の力を世に広める活動をしているといえる。言葉はすごい。そのすごさは、止まった人を動かし、世界を変えてしまえるくらいのものだ。言葉には人を操る力がある。誰かを傷つけることも、励ますことも容易くやってのける。戦争を起こすきっかけにも、終わらせるきっかけにもなるだろう。

 だけれど、言葉の存在しない領域も、私は愛している。言葉の入り込む余地のない絵画や写真、映像、建築物、自然は確かにあって、そこにずかずかと踏み込もうとする言葉を見つけると私は「少しは遠慮してくれ」と思う。ここはお前のくるところじゃない。何も言うな。なにもかも言葉に変えてしまおうとするなよ、そう思うのだ。

 芸術にステイトメントなど要らない、とまでは言うつもりはないが、それでもそれを読む前に、作品と対峙した自分が直感したことは大事にとっておきたいと思っている。私の身体の言葉を捨てた部分に、知らない周波数から言葉を持たないメッセージが届く。あの瞬間が、私はとても好きだから。

 

 

 

血に塗れた闇の果実、またの名をチョコレート

チョコレートはお好き?

 毎日一心不乱に働かれている皆様、並びに無職の皆様、ごきげんよう。クロです。只今の時間、AM二時。ワタクシはチョコレートをつまみながら、茶を啜っております。嗚呼、チル。セロトニン出てきてる感じがするこの多幸感。総額三百円足らずの極楽浄土がここにある。

 さて、実は先日、非常に変わった経歴の友人からお誘いいただき、彼女特製のオリジナルチョコレートのお披露目会に足を運んできた。某大手コンビニのスイーツ開発部に長年勤めていた彼女はこの度退職し、かねてより志望していたチョコレートプロデューサーへの道を、晴れて邁進するすることになったのだ。彼女は控えめに言って、チョコレートに取り憑かれている。そのこだわりたるや尋常じゃない。軽い気持ちでお披露目会に行ってしまった私は、彼女の“本気”に圧倒された。まるで猪木の強烈ビンタを食らったような衝撃だった。

 客人があらかた席に着くと、皿に乗ったチョコレートが運ばれてきた。小さな粒は様々な色と形をしていて、どれも食べるのがもったいないくらい可愛らしい。私の殺風景なお部屋に飾って是非とも彩を添えていただきたいくらいだ。やがて颯爽とラウンジの奥から現れた主催者の彼女は、一つ一つのチョコレートの説明をし始めた。どこの国のカカオ豆を使用しているかとか、チョコレートは何層重ねになっているとか、隠し味にどこどこのスパイスを使っていますだとか、常人には計り知れない彼女のこだわりが正に爆発していた。

 しばらくして私は驚くべきことに気づいた。向かいのカウンターにソムリエらしき男性が立っている。彼は、主催者がチョコレートについてゲストに説いている間に、カウンターの上に並んだワイングラスに数種類のワインを滑らかな動作で注いでいった。もしやワインと一緒に嗜むのか?俄に、自分が気づかぬうちに、大人のジャングルへと足を踏み入れてしまったのだと悟った。そういえば周りを見渡しても、私のようなちんちくりんは一人も見当たらない。全員が社交場に慣れていそうな格好をした大人たちばかりだ。騙された!ドレスコードもないので気軽に来てくださいという言葉にすっかり騙されていた。しかし来てしまったからには今更恥ずかしがっても仕方がない。むしろあえて自信満々に振る舞ってやろうではないか、そう自分に言い聞かせることで私は正気を保っていた。

 度々雑念に脳内を占拠されたりしながらも、私は彼女の話を概ね熱心に聞いていた。その中で、非常に興味深い話が一つあった。それは、カカオは麻薬だという話である。大層怖い響きではあるが、まあまずは聞いてほしい。

 

アステカ帝国の儀式と闇の果実・カカオ

 かつて、メキシコにアステカと呼ばれる文明があったのはご存知だろうか。その昔、現在のメキシコシティ辺りの地に栄えたアステカ帝国では、生贄の儀式が公然と行われていた。生きた人間の心臓を取り出し、神に捧げるというものだ。現代の感覚からすると到底信じられないような所業だが、大神殿の跡地からは実際に二千体近くの遺骨が見つかっている。男女問わず、大人から子供までだ。しかし当然、どんな宗教感に基づいた儀式だろうが、こんなこと正気でできたわけがない。そこでカカオが出てくるのだ。他の幻覚作用のある植物と一緒に練られたカカオは、生贄になる人と儀式を行う執行人の双方が儀式の直前に食すものだったらしい。いわば気付け薬のようなもので、一種の興奮剤として用いられていたのだろう。それを摂取することで、常軌を逸したこの祭りごとが執り行われていたのだ。それも長い間ずっと。恐ろしい話ではあるが、私にとっては非常に関心を惹かれる内容だった。

 時は翻って現在は、カカオにそんな薬物のようなイメージを持つ人は全くいないだろう。チョコレートは私たちの身近なスイーツで、疲れた心と体に染みる癒しの賜物だ。私も欠かさずストックしているし、個包装されているもの等を友人にひょいとあげることもある。しかし、よくよく考えてみたら、興奮こそしていないが、確かにバッチリ依存性はあるような気がする。少なくとも、欠かすことのないようにストックしている時点で、私は間違いなく依存している。特に病名もなく危険視するほど問題がないというだけで中毒者には違いない。それに糖分は過剰摂取すれば十分体に害があるから、全くの無害とは言い難い。この際、他にも自覚してない依存症がないか私は探ってみることにした。毎朝飲む紅茶、部屋でたく線香の香り、真冬でも買って食べる毎週末のアイス。この辺の嗜好品は無くなったら禁断症状が出そうだ。多かれ少なかれ、誰しも好んで日常的に摂取している嗜好品はあるものだと思うのだが、我々を依存することから切り離すことなど可能なのだろうか。

 私たちは突然変異か何かで生態系が変わっても生き残っていけるように、様々な動植物を食べて栄養にすることができる雑食動物である。アリしか食べない偏食家のアリクイや、花の蜜にしか興味のないミツバチとは違うのだ。一つのものへの依存を回避して安全性を高めている。これは人類の生存戦略に他ならない。しかし一方で、嗜好品というのはどうしても生まれてしまう。健康保全には必要のないような栄養価の低いものに、私たちは依存することがよくある。タバコや甘いもの、ドラッグだってそうだろう。必要ないものなのに、体に悪いかもしれないのに、という前置きのもと、逆説的に深みに嵌っていく。とはいえこの不可解さが、人間らしさだと思う。喫煙者に「体に悪いのになぜ吸うんだい?」と純真無垢な顔で尋ねてみても、それは愚問だ。相手は渋い顔を浮かべて二の句が継げなくなるだけなので、止めておいた方が親切というものである。

 笑えるほど自分に似つかわしくない高級ホテルのラウンジで、自分の依存について自覚した夜。全く奇妙な人生の巡り合わせであった。チョコレートはどれも非常に美味しくいただいた。一つ一つの完成に至るまでの背景やカカオの産地の風景を思い浮かべ、贅沢にワインとのマリアージュも楽しみながら。今後もう経験できないであろう美しい体験をさせてもらった。パーティの後で主催にお礼を告げ、私はほろ酔いで帰った。

 さて、冬も近づき肌寒くなった近頃。今夜はよく冷える。私はブランケットを膝に掛け、線香の煙がゆらめくこの部屋で、もうしばらく作業をしようと思う。チョコレートをつまみながら。

 

 

花束みたいな恋を、することなく終電で帰る

愛について考える日曜の夜

 ある日曜の夜、映画を観たい気分だった私は、Netflixで配信中の作品を物色していた。様々なタイトルをスクロールしていくと、映画「花束みたいな恋をした」がふと目に止まった。話題になっているのは知っていたし、坂本裕二脚本の作品にはハズレがない。つい最近放送していた連続ドラマ「初恋の悪魔」も、毎週欠かさず録画してじっくり観ては、感慨に耽っていた私だ。迷いなく今夜はこれを鑑賞することに決め、再生ボタンをタップした。

 作品は、若き男女の出会いと別れを描いたもので、ときめく出会いから始まった一つの恋が、長い時間をかけてやがて終わっていく姿を、ただありのままに映し出していた。お互いを想い合い、好きな人と好きなことをする時間は無限にあると思っていた二人が、周りの環境や人間関係の変化によって、次第に逃れられない現実と向き合っていく。別々の道を進んだ互いの価値観の変化は程なく受け入れ難いものとなり、小さなすれ違いは、愛情が入った容器にいくつもの小さな穴を開ける。似たもの同士だったはずのカップルの気持ちは、その穴から水滴が落ちるように、ぽつり、ぽつりと少しずつ、だが確実に失われていくのだ。

 この作品を観た誰もが、かつて経験したことのある苦い記憶を掘り起こされたのではないだろうか。恋をし、そして別れたことがあれば、誰しもこういう経験を通り過ぎたはずだ。あんなに互いを好きだったのに、時間の経過とともに気持ちが冷める。そして冷め切った後は、もう出会ったときの気持ちなんて思い出せない。価値観の違い?タイミングのすれ違い?話し合うことさえ億劫だったから?カップルが別れる理由はいつも聞いたことのあるようなものばかりで、そのいずれも曖昧で結局のところ決め手に欠ける。

 愛って結局何なんだろう。恋愛が始まるとき、生き物としての大事なスイッチが急に入ったような感覚がする。一人で生きてきたくせに、もう愛する人なしでは生きられないような気がしてしまう。でも誰も、その気持ちの理由を知らない。それなのに完全に本能的というには、恋愛は少し理屈っぽい。好きになる相手には一定の条件があったり、若さや収入など恋に落ちる前に相手の持ち物を目敏く確認している抜け目なさも、私たちにはあるのだ。

 

やがて花束みたいな恋は終わる

 就活で思うようにいかず、面接に落ちる度に自己否定をされているようだと落ち込む大学生の絹は、就活をせず好きなイラストを描いて暮らしている麦に、「絹ちゃんの良さが分からない人のところでなんか、働かなくていい。好きなことをして暮らそう」と言われ就活を止める。安定よりも自由を選んだ二人は、貧しいけれど、毎日幸せに暮らしていた。

 しかし長い年月を共に過ごし、結婚を視野に入れた麦は、イラストは趣味で続けられると言って、これまで避けてきた就活に身を乗り出す。簡単には就職先が決まらず麦は鬱々としていたが、やっとの思いで採用を勝ち取り、ついに会社勤めが始まることに。ところが、定時で帰れると思っていたサラリーマン生活は、実際には残業だらけの過酷なもので、イラストや趣味に費やす時間はすっかりなくなってしまった。

 一方、資格を取って先に就職していた絹は、勤めていた歯医者での事務仕事を簡単に辞めてしまう。そして、好きなことをやりたいと言って派遣の仕事に転職しようとしていた。何も聞かされていなかった麦は機嫌を損ね、「簡単に仕事を辞めるなんて考えが浅い」と彼女を責めてしまう。二人の溝は深まり、会話は減っていく。この先も二人でいるために決めた就職が、二人を別々の道に進ませてしまうのだ。そして亀裂が深まると、後は緩やかに別れに向かっていくだけだった。

 出会った頃の彼らには、好きなものがあった。街中にあるガスタンクや今村夏子の小説、押井守の映画、替え玉無料のラーメン。サブカルチャーの趣味は合わせ鏡のように同じで、好きなものの話をしているとき、二人はこれ以上ない理解者だった。絹と麦は愛し合い、5年もの月日を恋人として過ごした。

 二人の関係を壊してしまったものの正体は何だろう。就職か、周囲の人間たちか。それとも学生の頃には見えていなかった、現実という名の暗くて冷たい何かか。しかしそれは別れる原因を作り出す要素にはなったかもしれないが、原因そのものではない。

 麦と絹は、変わっていくお互いを受け入れることができなかった。サラリーマンになった麦がむくれながら口にした「好きなことだけして生きていきたいなら俺と結婚してずっと家にいればいい」というプロポーズの言葉も、絹は「思ってたのと違った」と跳ねのけ、ショックを隠しきれない様子だった。恋人のために諦めたことが自分を変え、恋人の愛した自分はどこかへ消えてしまう。同様に、変わってしまった自分はもう、以前のように彼女を愛せなくなってしまっていた。

 永遠の愛を誓うことなんて、人間にできるのだろうか。時間や環境が人を変えていくなら、未来も変わらない愛情を約束するなんて荒唐無稽な話じゃないか。私たちは、その時その時、自分が一緒にいて一番心休まる相手を求めているだけなんじゃないか。それなら、たった一人の人間を未来永劫愛し続ける必要なんて、一体どこにあるんだろう。

 私には恋愛は虚しいものに思える。その多くが、いつか終わってしまうからだ。もし、どんなに自分や相手が変化しても永遠に続く他者への愛情があるなら、それは素晴らしいと思う。そんなありそうもない素晴らしさを追い求めて、私たちは恋愛を探し、失敗し続けているのかもしれない。失敗する度に心は壊れそうになるくらい痛むけれど、それにも代え難い確かな愛、変わっていく全てへの不安から私たちを救い出してくれる、そんな愛を求めて。

 作中の絹と麦は、ある夜明大前駅で終電を逃すことで知り合う。始発を一緒に待つ間に、二人は互いの中に自分と似たものを見つけ、惹かれ合うのだ。一方私は、大学生の頃からどんな飲み会やパーティにお呼ばれしても、必ず終電で帰る女だ。そういうわけで、ドラマのような恋愛はおろか、そのフラグさえ立つ前にむしり取る。もったいないと言うことなかれ。私は色恋よりも、一人の孤独が好きなのだ。自分以上に愛せる人なんて見つからなくて一向に構わん。

 強くあれ、私。救いは自らの中にある…はず。

 

 

当方、ディズニーランドが楽しくないのです

ディズニーランドが好きじゃない人間は捻くれ者ですか?

 「ディズニーランドが好きじゃない」と言うと、もれなく周りの人間から“素直じゃない子”や“捻くれ者”の称号を与えられる。全く不名誉な称号であるが、恐らく私はずいぶん前から、そんな称号を欲しいままにしているのだと思う。ディズニーランドは万人にとっての夢の国で、美しいファンタジーの世界。それを楽しめないとは、なんて可哀想な人なんだろう、哀れなり。みんなそう思っているに違いないのだ。

 だが、楽しめないものはどう頑張っても楽しくない。私だって願わくば、みんなのようにディズニーランド最高!と、瞳を輝かせてはしゃげる人間になりたかった。しかし残念ながら、数回足を運んだがいずれも疲労感に苛まれるだけで終わった。もちろん、ディズニー作品の世界を再現した園内や、凝った乗り物、スタッフ個々人の演技力を始め、エンターテインメント性や提供しているサービスのレベルの高さに感動はしている。しかし同時に、その背後にある緻密な全体設計やマーケティング、徹底した人材育成、投資企業や関わる大勢の人々、生み出している巨額の経済効果を連想して圧倒されてしまう。膨大な労力を費やす演者側が気になってしまって、客としてあの世界に没入することができないのである。

 没入する、というのは脳の余計な機能のスイッチを全てオフにして、一つの物事にものすごく集中するということだ。何かになりきって、感じられる全てを体感するということだ。それを可能にするために、ディズニーランドでは視覚や聴覚、嗅覚といった人間の感覚器官が巧みに操作されている。園内はエリアごとに分けられており、それぞれ作品のテーマに沿った街並みに、作中の曲が流れ、雰囲気を盛り上げている。さらにスメリタイザーという装置がそこら中に置いてあり、一定の匂いを放っている。例えば海中に潜るアトラクションのそばでは、本物の海さながらに潮の香りが漂っているのに気づくだろう。訪れた人がディズニーの世界に没入できるのには、こういったわけがあるのだ。

 斯様にして、ディズニーランドに凝らされた趣向の数々を鑑みるに、それでも没入できない自分には、何か欠陥があるのではないかと思えてくる。

 

虚構世界に没入できない理由

 私はいつからこういう人間になったんだろう。

 私だってきっと、この世に生を受けて間もない頃は、愛くるしく泣いたり笑ったりし、楽しいことは他の赤ん坊たちと変わらなかったはずだ。「いないいないばあ」とかいう、馬鹿にしているとしか思えない意味不明な大人たちの言動にも、キャッキャと無邪気に笑ってみせていたに違いない。

 ところが小学生に上がる頃には、すでに“クソ生意気なガキ”として近所に名を馳せ、学年の先生方が一生懸命企画してくださったであろう遠足などのイベントも「だりーわ」の一言で一蹴し(なんと愛想のないガキ!)、中学生になると、親から半ば強制的にぶちこまれた私立の学校を、いけすかない金持ちの巣窟と断定し、いかにも温室育ちといった周りの生徒たちと全く馴染めず、いつもしかめ面ばかりをしていた。高校生時代は、反抗することに疲れ、先生や親に表向き従順に振る舞うようになったものの、二言目には大学進学の話をしてくる連中のことを、まるでプログラミングされたロボットのようで薄気味悪いと内心で感じていた。ずっと退屈だった。心から信頼できる人なんて、たぶん一人もいなかった。

 しかし私は、決して素直になれない反抗期を送っていたのではないと思っている。自分の家庭や学校生活、全てに私は没入できなかったのだ。なんだか全部が作り物みたいに感じられ、クラスメイトも先生も、自分の親すら、役割を演じているだけで、本当はそこに実在してないような気がしていた。言うなれば、過剰なメタ認知をしているような感覚だ。“虚構病”と、私はこの現象を名づけた。全てが虚構(フィクション)に見えて、現実が現実と思えなくなる病だ。

 私は、“”という自覚を持っているのに、自分の見ている世界を、誰かによって見せられているように感じていた。「私はプログラミングされた世界で、ロールプレイングゲームに興じているだけなのか?」一度疑い出すと止まらなくなり、堂々巡りに陥る。

 そこで唯一の手がかりとなるのは、自分という確かに存在している意識体である。「我思う、故に我あり」と言ったデカルトよろしく、私はこれを頼りに、現実は現実であることを証明することで、安心して“私”の世界に没入し、自分の人生を謳歌したかった。

 

やがて、現実に没入せざるをえなくなる

 結果的には、自分を取り巻く現実というものに没入できるようになったというより、せざるをえなくなった。それは、大学生になり親元を離れ、最低限の生活費を自分で稼ぐようになってからのことだ。アルバイトをしなければ、実際に自分の明日の食事がままならなくなり、いずれは飢えることになる。そういう不安が原動力になって私は働き、つまらない講義を真面目に受け、就職活動にも精を出した。

 その時初めて、私は日常に没入できたように思う。簡単なことだ。それまで自分の生きる世界が虚構に見えたのは、自分の人生を借り物のように過ごしてきたからだ。当時馴染めなかった私学の同級生たちと同様、私も所詮、親に守られ進むべき道を決められてきたというだけの話だ。そこにはほとんど自分の選択がなかった。答えはあらかじめ用意されていて、教えられた通りに淡々と選んでいくだけだった。サバイバルをしている感覚は限りなくゼロで、だから世界が作り物のように見えていた。

 今の私は、現実を現実として認識はしている。たまに虚構に見えてくる時は何かしらの危険信号で、自分の人生の舵取りを自分でできなくなってきている兆候だと分かるようになった。実際、毎日同じ会社に出勤し、同じ人の指示に従い、同じような仕事をこなすルーティン作業を繰り返せば、現実からリアリティが欠けていく。そこに足りないのは、自分の選択によってその先が決まるというサバイバル感覚だ。自分の意志で起こしたアクションから、外部にリアクションが生まれているという確かな実感だ。

 

虚構と現実の間で

 さて、この話はディズニーランドから始まった。

 現実世界に生きる“私”に没入し、人生を満喫することはできるようになったわけだが、それでもこの間久しぶりに行ったディズニーランドは、やはり自分が楽しめるものではなかった。私にとってそれは、夢の国でもファンタジー世界でもなく、(株)オリエンタルランドが経営するテーマパークでしかない。あれほど優れた虚構でも、入り込むことができなかった。

 しかし、その理由を私はもう知っている。ディズニーランドという虚構は、誰かによって用意されたものであり、私たちはそこで何かを生み出すことなく、ただ享受しているだけに過ぎないからだ。作られたファンタジーは、金銭と引き換えに与えられ、安全が保証された園内で起こることはおおよそ予想の範疇を出ない。

 現実も虚構も、その中に入り込むためには自分との双方向性が必要不可欠なのである。自分のアクションに対し、リアクションが返ってこない世界に埋没できるわけがない。そうやって一度メタ認知をしてしまえば、あの虚構に没入し、心から楽しむことはできなくなってしまうのだ。メタ認知を封じれば、私もディズニーランドを楽しめるようになるのだろうか。次回は酒でベロンベロンになってから訪れてみることにしよう。

 ちなみに私にも、ディズニーランドで唯一邪念なしに楽しめたものがある。タートルトークだ。私はあの日本語を話すウミガメのコーナーだけに、繰り返し並んでいた。毎回違う客席の人々に合わせてアドリブが飛んでくることに、リアリティを感じるからだろうか。彼の話は、スクリーンの裏側でアフレコしている人間のお兄さんを想像してもなお愉快だ。

 

 「お前たち、最高だぜ〜」

 

 

 

 

 

 

ビー玉はアンの箱の中 分かり合えない僕たちの行方

サリーとアン課題の奥底に見える深淵

 サリーとアン課題と呼ばれる問題、皆さんはご存知だろうか?

 これは簡単な心理検査であり、発達心理障害をチェックする問題である。以下、その問題の内容を記そう。

サリーはビー玉を取って自分のかごに隠しました。その後、彼女は部屋を離れ、散歩に出かけました。彼女がいない間に、アンはサリーのかごからビー玉を取り出し、自分の箱に入れました。この後、サリーが散歩から帰ってきました。さて、サリーはビー玉を見つけるためにまずどこを探すでしょう?

 これは、誤信念を他人に帰する社会的認知能力を測定することを目的として作られた問題である。登場人物はサリーとアンの二人。サリーが自分のかごに隠したビー玉は、その後アンの箱の中へと移し替えられた。散歩に出かけておりその場にいなかったサリーは当然そのことを知らない。したがって、帰ってきたサリーが最初に探すのは、彼女がビー玉を最初に隠した「自分のかごの中」である。

 しかし、この問題に「アンの箱の中でしょ?」と真顔で答える人たちがいる。彼らが抱える障害とは一体何なのか。

 そこに潜むのは、自分が知っていることや事実として信じていることを、他人も同様に知っているし、信じていると思い込んでしまう誤認識だ。読み手の視点からすれば、アンがビー玉を移し替えたことは紛れもない事実である。そしてその視点は、サリーの視点とは一致しない。サリーがその場から一時的にいなくなった時点で、我々の視点と彼女の視点は不連続になる。そのことが理解できず、自分が知っていることと、サリーが認識していることを混同してしまうという誤認識が、この問題に不正解する人々には共通しているのだ。

 1985年に行われた研究の中では、4歳以下の子どもの多くがこの問題に「アンの箱の中」と答えている。つまり、幼い子どもたちには、自分の見たことと他人の見たことの区別がまだはっきりとついていない。そういうわけで、先ほど「サリーのかごの中に決まっているじゃないか」と自信満々に答えた我々の多くも、3歳やそこらの頃には、この問題を誤答していた可能性が高い。

 そしてそれ以上の年齢になってくると正答率は順調に上がっていくのだが、自閉症を持つケースでは、4歳以下の子どもたち同様に正答率が低かった。

 

この問題が分からないという一人の友人

 さて、私がこの問題について興味を持ったのは、ほんの数ヶ月前のことである。私の友人がこの問題が分からないということを打ち明けてくれたのだ。彼は23歳であり、もう立派な大人だ。少し天然でとぼけたところのある彼だが、そんなところも、私は彼の魅力の一つに感じていた。しかし、この告白をきっかけに、私の中での彼の存在が少し、いや少しと言うには幾分大きく変わってしまった。

 まず言っておくが、間違いなく彼は悪いヤツではない。しかし風変わりな人間ではある。社交的でよく話すタイプなのだが、複数人で会話しているときには、コンテクストを正しく理解できていないことが度々あり、話が噛み合わないということも多かった。知識に偏りがあり、自分の知らない話題が出てくると、その度に会話を遮って質問をした。また非常に気分屋で、遅刻やドタキャンは日常茶飯事だったし、楽しく話している最中に突然不機嫌になったりすることさえあった。そして厄介なことに、自分でもその理由が判然としないようで、私たちにも、何が彼の機嫌を損ねたのかは分からないままだった。私がいくらその理由を推測してみせても、彼は異論があるといった表情のまま黙っていた。そういった問題は大いにある人物だったが、私含め共通の友人たちの間で、彼は「そういうヤツ」で通っていたし、持ち前の愛嬌もあって、これまで特段気にしたこともなかった。そう、気にしていなかったはずなのだ。

 しかし、彼から打ち明けられた話によって、私は内心でほんのわずかに、これまで彼の言動の数々を不審に感じていたということを自覚する羽目になってしまった。彼にサリーとアン課題を解けないことに繋がる障害があったという事実は、たったそれだけで、彼が時折見せたおかしな言動全てに合点が行くには十分だった。そしてその時点から、私は全くそれまで通りに彼と接するということができなくなってしまったのだ。

 これは極めて辛く、自己嫌悪にすら直結する事件であった。彼は恐らく私を信用して、自分の障害を明かしてくれたのだろう。しかし当の私は、その事実を知らされて以降、彼を色眼鏡で見るようになってしまっている。というのも、これまでだったら、彼が理解できないという事柄に対して、私は彼を納得させようと熱心に理論立てて説明していた。そうすれば同じ人間同士必ず分かり合えるはずだと信じていたからだ。たとえ、多少の価値観のズレがあったとしてもだ。しかし今では、説明を試みる前に、「彼には分からないものは分からないのではないだろうか」という邪推が脳内に浮かび、思うように言葉が出てこなくなってしまった。これは、確実に今まで通りではない。彼と分かり合うことへの、ある種の諦めが、そこに漫然と横たわっていた。

 果たして、私は分かり合うために、熱心に自分の理論を彼の前で披露し続けるべきなのかだろうか。だって、私と彼では持っている理屈がきっと違う。私の理屈は彼の中では全く論理性に欠けているという可能性だってある。どうせ彼には分からないのなら、諦めて別の話題にすり替えるべきなのではないか?ぶつかり合うのは消耗するから、避けたい。そんな風な思考回路が、我が脳内に新たに敷設されてしまったようだ。

 

分かり合えいないとき、どうするのが正解か

 私は今だに悩んでいる。なんならこの事実を知りたくなかったとさえ思う。しかし、知った以上、知らないように振る舞うことも難しい。私はこの諦めを正当化しようと思う。つまり、適当な距離を置いて彼との友人関係を続けていくということだ。近づきすぎると分かり合えないことがもどかしくなり、自分の理屈を押し付けて、相手を責めたくなってしまうかもしれない。そしてその気持ちは、数時間後には私の中で自己嫌悪に変わるはずだ。それは彼にとっても、私にとってもよろしくなかろう。

 それにもしかしたら彼は、この事実を知って私の対応が変わることを望んでいたのかもしれない。真意は分からないが、今度機会があったら尋ねてみることにしよう。

 さて、私は彼のことが嫌いじゃない。ときどき、彼の言動を見て、もやもやとした気持ちになることはあるが、それは自分の内側の問題だ。彼との一番良い付き合い方を模索していくうちに、どうにか対処できる事柄だと考えている。

 私は、彼の告白を通じて、色々なことに気付かされた。自分が思っていたより器の狭い生き物だったということもそうだ。しかし多くの人間がそうじゃないか?自分と似た考え方や理屈、価値観を持った者同士で集まり、コミュニティを築いている。そうやって小さな社会を構成している。本当は、誰かと全く違うということも、全く同じということもあり得ない。同じ部分だって、違う部分だって、私たちはそれぞれ持っている。その中で、自分となるべく似ている連中を捕まえて、分かり合えることに安心しているのだろう。「これが普通だよね」と言い聞かせているのかもしれない。しかし、違う部分を受け入れようとする努力を尊いものだと、私は思いたい。ただ、それもあくまで自分の中の理屈に過ぎないというのは、いささか虚しい事実だが。

 彼は、私とだいぶ違う生き物のようで、なかなかに予測しづらいし、故に扱いづらい。しかし、なんとなく一緒にいて楽しいことも沢山あるので、これからも友人でいるのだと思う。彼が突然怒ってどこかに行ってしまっても、私には、渋い顔をしながら人差し指と中指を交差させ、彼の幸せを祈るくらいの度量はあるのである。Fingers crossed!