血に塗れた闇の果実、またの名をチョコレート

チョコレートはお好き?

 毎日一心不乱に働かれている皆様、並びに無職の皆様、ごきげんよう。クロです。只今の時間、AM二時。ワタクシはチョコレートをつまみながら、茶を啜っております。嗚呼、チル。セロトニン出てきてる感じがするこの多幸感。総額三百円足らずの極楽浄土がここにある。

 さて、実は先日、非常に変わった経歴の友人からお誘いいただき、彼女特製のオリジナルチョコレートのお披露目会に足を運んできた。某大手コンビニのスイーツ開発部に長年勤めていた彼女はこの度退職し、かねてより志望していたチョコレートプロデューサーへの道を、晴れて邁進するすることになったのだ。彼女は控えめに言って、チョコレートに取り憑かれている。そのこだわりたるや尋常じゃない。軽い気持ちでお披露目会に行ってしまった私は、彼女の“本気”に圧倒された。まるで猪木の強烈ビンタを食らったような衝撃だった。

 客人があらかた席に着くと、皿に乗ったチョコレートが運ばれてきた。小さな粒は様々な色と形をしていて、どれも食べるのがもったいないくらい可愛らしい。私の殺風景なお部屋に飾って是非とも彩を添えていただきたいくらいだ。やがて颯爽とラウンジの奥から現れた主催者の彼女は、一つ一つのチョコレートの説明をし始めた。どこの国のカカオ豆を使用しているかとか、チョコレートは何層重ねになっているとか、隠し味にどこどこのスパイスを使っていますだとか、常人には計り知れない彼女のこだわりが正に爆発していた。

 しばらくして私は驚くべきことに気づいた。向かいのカウンターにソムリエらしき男性が立っている。彼は、主催者がチョコレートについてゲストに説いている間に、カウンターの上に並んだワイングラスに数種類のワインを滑らかな動作で注いでいった。もしやワインと一緒に嗜むのか?俄に、自分が気づかぬうちに、大人のジャングルへと足を踏み入れてしまったのだと悟った。そういえば周りを見渡しても、私のようなちんちくりんは一人も見当たらない。全員が社交場に慣れていそうな格好をした大人たちばかりだ。騙された!ドレスコードもないので気軽に来てくださいという言葉にすっかり騙されていた。しかし来てしまったからには今更恥ずかしがっても仕方がない。むしろあえて自信満々に振る舞ってやろうではないか、そう自分に言い聞かせることで私は正気を保っていた。

 度々雑念に脳内を占拠されたりしながらも、私は彼女の話を概ね熱心に聞いていた。その中で、非常に興味深い話が一つあった。それは、カカオは麻薬だという話である。大層怖い響きではあるが、まあまずは聞いてほしい。

 

アステカ帝国の儀式と闇の果実・カカオ

 かつて、メキシコにアステカと呼ばれる文明があったのはご存知だろうか。その昔、現在のメキシコシティ辺りの地に栄えたアステカ帝国では、生贄の儀式が公然と行われていた。生きた人間の心臓を取り出し、神に捧げるというものだ。現代の感覚からすると到底信じられないような所業だが、大神殿の跡地からは実際に二千体近くの遺骨が見つかっている。男女問わず、大人から子供までだ。しかし当然、どんな宗教感に基づいた儀式だろうが、こんなこと正気でできたわけがない。そこでカカオが出てくるのだ。他の幻覚作用のある植物と一緒に練られたカカオは、生贄になる人と儀式を行う執行人の双方が儀式の直前に食すものだったらしい。いわば気付け薬のようなもので、一種の興奮剤として用いられていたのだろう。それを摂取することで、常軌を逸したこの祭りごとが執り行われていたのだ。それも長い間ずっと。恐ろしい話ではあるが、私にとっては非常に関心を惹かれる内容だった。

 時は翻って現在は、カカオにそんな薬物のようなイメージを持つ人は全くいないだろう。チョコレートは私たちの身近なスイーツで、疲れた心と体に染みる癒しの賜物だ。私も欠かさずストックしているし、個包装されているもの等を友人にひょいとあげることもある。しかし、よくよく考えてみたら、興奮こそしていないが、確かにバッチリ依存性はあるような気がする。少なくとも、欠かすことのないようにストックしている時点で、私は間違いなく依存している。特に病名もなく危険視するほど問題がないというだけで中毒者には違いない。それに糖分は過剰摂取すれば十分体に害があるから、全くの無害とは言い難い。この際、他にも自覚してない依存症がないか私は探ってみることにした。毎朝飲む紅茶、部屋でたく線香の香り、真冬でも買って食べる毎週末のアイス。この辺の嗜好品は無くなったら禁断症状が出そうだ。多かれ少なかれ、誰しも好んで日常的に摂取している嗜好品はあるものだと思うのだが、我々を依存することから切り離すことなど可能なのだろうか。

 私たちは突然変異か何かで生態系が変わっても生き残っていけるように、様々な動植物を食べて栄養にすることができる雑食動物である。アリしか食べない偏食家のアリクイや、花の蜜にしか興味のないミツバチとは違うのだ。一つのものへの依存を回避して安全性を高めている。これは人類の生存戦略に他ならない。しかし一方で、嗜好品というのはどうしても生まれてしまう。健康保全には必要のないような栄養価の低いものに、私たちは依存することがよくある。タバコや甘いもの、ドラッグだってそうだろう。必要ないものなのに、体に悪いかもしれないのに、という前置きのもと、逆説的に深みに嵌っていく。とはいえこの不可解さが、人間らしさだと思う。喫煙者に「体に悪いのになぜ吸うんだい?」と純真無垢な顔で尋ねてみても、それは愚問だ。相手は渋い顔を浮かべて二の句が継げなくなるだけなので、止めておいた方が親切というものである。

 笑えるほど自分に似つかわしくない高級ホテルのラウンジで、自分の依存について自覚した夜。全く奇妙な人生の巡り合わせであった。チョコレートはどれも非常に美味しくいただいた。一つ一つの完成に至るまでの背景やカカオの産地の風景を思い浮かべ、贅沢にワインとのマリアージュも楽しみながら。今後もう経験できないであろう美しい体験をさせてもらった。パーティの後で主催にお礼を告げ、私はほろ酔いで帰った。

 さて、冬も近づき肌寒くなった近頃。今夜はよく冷える。私はブランケットを膝に掛け、線香の煙がゆらめくこの部屋で、もうしばらく作業をしようと思う。チョコレートをつまみながら。