花束みたいな恋を、することなく終電で帰る

愛について考える日曜の夜

 ある日曜の夜、映画を観たい気分だった私は、Netflixで配信中の作品を物色していた。様々なタイトルをスクロールしていくと、映画「花束みたいな恋をした」がふと目に止まった。話題になっているのは知っていたし、坂本裕二脚本の作品にはハズレがない。つい最近放送していた連続ドラマ「初恋の悪魔」も、毎週欠かさず録画してじっくり観ては、感慨に耽っていた私だ。迷いなく今夜はこれを鑑賞することに決め、再生ボタンをタップした。

 作品は、若き男女の出会いと別れを描いたもので、ときめく出会いから始まった一つの恋が、長い時間をかけてやがて終わっていく姿を、ただありのままに映し出していた。お互いを想い合い、好きな人と好きなことをする時間は無限にあると思っていた二人が、周りの環境や人間関係の変化によって、次第に逃れられない現実と向き合っていく。別々の道を進んだ互いの価値観の変化は程なく受け入れ難いものとなり、小さなすれ違いは、愛情が入った容器にいくつもの小さな穴を開ける。似たもの同士だったはずのカップルの気持ちは、その穴から水滴が落ちるように、ぽつり、ぽつりと少しずつ、だが確実に失われていくのだ。

 この作品を観た誰もが、かつて経験したことのある苦い記憶を掘り起こされたのではないだろうか。恋をし、そして別れたことがあれば、誰しもこういう経験を通り過ぎたはずだ。あんなに互いを好きだったのに、時間の経過とともに気持ちが冷める。そして冷め切った後は、もう出会ったときの気持ちなんて思い出せない。価値観の違い?タイミングのすれ違い?話し合うことさえ億劫だったから?カップルが別れる理由はいつも聞いたことのあるようなものばかりで、そのいずれも曖昧で結局のところ決め手に欠ける。

 愛って結局何なんだろう。恋愛が始まるとき、生き物としての大事なスイッチが急に入ったような感覚がする。一人で生きてきたくせに、もう愛する人なしでは生きられないような気がしてしまう。でも誰も、その気持ちの理由を知らない。それなのに完全に本能的というには、恋愛は少し理屈っぽい。好きになる相手には一定の条件があったり、若さや収入など恋に落ちる前に相手の持ち物を目敏く確認している抜け目なさも、私たちにはあるのだ。

 

やがて花束みたいな恋は終わる

 就活で思うようにいかず、面接に落ちる度に自己否定をされているようだと落ち込む大学生の絹は、就活をせず好きなイラストを描いて暮らしている麦に、「絹ちゃんの良さが分からない人のところでなんか、働かなくていい。好きなことをして暮らそう」と言われ就活を止める。安定よりも自由を選んだ二人は、貧しいけれど、毎日幸せに暮らしていた。

 しかし長い年月を共に過ごし、結婚を視野に入れた麦は、イラストは趣味で続けられると言って、これまで避けてきた就活に身を乗り出す。簡単には就職先が決まらず麦は鬱々としていたが、やっとの思いで採用を勝ち取り、ついに会社勤めが始まることに。ところが、定時で帰れると思っていたサラリーマン生活は、実際には残業だらけの過酷なもので、イラストや趣味に費やす時間はすっかりなくなってしまった。

 一方、資格を取って先に就職していた絹は、勤めていた歯医者での事務仕事を簡単に辞めてしまう。そして、好きなことをやりたいと言って派遣の仕事に転職しようとしていた。何も聞かされていなかった麦は機嫌を損ね、「簡単に仕事を辞めるなんて考えが浅い」と彼女を責めてしまう。二人の溝は深まり、会話は減っていく。この先も二人でいるために決めた就職が、二人を別々の道に進ませてしまうのだ。そして亀裂が深まると、後は緩やかに別れに向かっていくだけだった。

 出会った頃の彼らには、好きなものがあった。街中にあるガスタンクや今村夏子の小説、押井守の映画、替え玉無料のラーメン。サブカルチャーの趣味は合わせ鏡のように同じで、好きなものの話をしているとき、二人はこれ以上ない理解者だった。絹と麦は愛し合い、5年もの月日を恋人として過ごした。

 二人の関係を壊してしまったものの正体は何だろう。就職か、周囲の人間たちか。それとも学生の頃には見えていなかった、現実という名の暗くて冷たい何かか。しかしそれは別れる原因を作り出す要素にはなったかもしれないが、原因そのものではない。

 麦と絹は、変わっていくお互いを受け入れることができなかった。サラリーマンになった麦がむくれながら口にした「好きなことだけして生きていきたいなら俺と結婚してずっと家にいればいい」というプロポーズの言葉も、絹は「思ってたのと違った」と跳ねのけ、ショックを隠しきれない様子だった。恋人のために諦めたことが自分を変え、恋人の愛した自分はどこかへ消えてしまう。同様に、変わってしまった自分はもう、以前のように彼女を愛せなくなってしまっていた。

 永遠の愛を誓うことなんて、人間にできるのだろうか。時間や環境が人を変えていくなら、未来も変わらない愛情を約束するなんて荒唐無稽な話じゃないか。私たちは、その時その時、自分が一緒にいて一番心休まる相手を求めているだけなんじゃないか。それなら、たった一人の人間を未来永劫愛し続ける必要なんて、一体どこにあるんだろう。

 私には恋愛は虚しいものに思える。その多くが、いつか終わってしまうからだ。もし、どんなに自分や相手が変化しても永遠に続く他者への愛情があるなら、それは素晴らしいと思う。そんなありそうもない素晴らしさを追い求めて、私たちは恋愛を探し、失敗し続けているのかもしれない。失敗する度に心は壊れそうになるくらい痛むけれど、それにも代え難い確かな愛、変わっていく全てへの不安から私たちを救い出してくれる、そんな愛を求めて。

 作中の絹と麦は、ある夜明大前駅で終電を逃すことで知り合う。始発を一緒に待つ間に、二人は互いの中に自分と似たものを見つけ、惹かれ合うのだ。一方私は、大学生の頃からどんな飲み会やパーティにお呼ばれしても、必ず終電で帰る女だ。そういうわけで、ドラマのような恋愛はおろか、そのフラグさえ立つ前にむしり取る。もったいないと言うことなかれ。私は色恋よりも、一人の孤独が好きなのだ。自分以上に愛せる人なんて見つからなくて一向に構わん。

 強くあれ、私。救いは自らの中にある…はず。